世界中のスマホを支える「時間のデータベース」を、47年前のイランの新聞で修正した話

2026年9月12日にリリースされたタイムゾーンデータベース(tzdb)2026d に、私の報告した修正が入りました。

リリースノートの「Changes to past timestamps」に、こう書かれています。

Iran’s 1979-05-26 spring forward was at 00:00, not 24:00. (Thanks to N.F. Hase.)

イランの1979年5月26日の夏時間開始は、24:00ではなく00:00だった——丸一日の差です。

tzdbとは何か

tzdb(IANA Time Zone Database)は、世界中のタイムゾーンの歴史を記録したテキストファイル群です。Linux、Android、iOS、macOS、Java、Python、PHP——事実上すべての主要プラットフォームが、日時の計算にこれを使っています。普段は誰も存在を意識しませんが、スマートフォンの時計が正しいのも、予約システムが破綻しないのも、このファイルが正しいからです。

その中の asia というファイルに、イランの項目があります。

Rule	Iran	1978	only	-	Mar	24	24:00	1:00	-
Rule	Iran	1978	only	-	Aug	 5	 1:00	0	-
Rule	Iran	1979	only	-	May	26	 0:00	1:00	-
Rule	Iran	1979	only	-	Sep	18	24:00	0	-

3行目の 0:00 が、今回書き換わった箇所です。

きっかけ

私はヴェーダ占星術(インド占星術やJyotishとも言います)を研究しています。占星術は、ある瞬間の空の状態を計算する技術です。だから「正確な時刻」を死活的に必要とする。1分のずれが天体の位置を変え、解釈を変えてしまう。

1979年のイランのチャートを扱っていて、一般的に言われている時間と私の見方では最低でも30分ほどの差があると以前から感じており、そこでtzdbの根拠を辿ってみたのです。

出てきたのは、2022年に行われた改定でした。その典拠は、1985年に発表された社会学の論文の、たった一文。

「シャーの失脚後、革命政府は1979年5月26日に夏時間に戻した」

日付はある。しかし時刻の記述がない。にもかかわらずデータベースには「5月26日の24:00」と書かれていた。イランの他の年がほぼすべて24:00移行だったので、それに合わせて推定された値だったようです。

推定は推定であって、証拠ではありません。

新聞を探しに行く

イランには Mashruteh という新聞アーカイブがあります。革命前後の主要紙がスキャンされて公開されている。そこでエッテラーアート紙(テヘランの日刊紙)の該当時期を掘りました。

見つかったのは4号分です。

  • 1358年1月12日(1979年4月1日)
  • 1358年3月1日(5月22日)
  • 1358年3月5日(5月26日)
  • 1358年3月6日(5月27日)

当時のエッテラーアート紙には、毎日「タグヴィーメ・エッテラーアート/サーアトハーイェ・シャルイー(エッテラーアート暦/礼拝時刻)」という小さな囲み記事が載っていました。リヤーズィー・ケルマーニー博士による天文計算で、その日のマグリブ(日没)と、翌日のファジュル(夜明け)、日の出、真南中、マグリブが並んでいる。イラン暦・ヒジュラ暦・西暦の三つの日付付きで。

これが決定的な証拠になりました。

太陽は嘘をつかない

真南中——太陽が真南に来る時刻——を並べてみます。

日付 紙面の真南中
4月1日 12:10
5月22日 12:02
5月26日 13:02

4月から5月にかけての8分の減少は、均時差(地球の公転軌道の離心率と地軸の傾きによる、見かけの太陽時と平均太陽時のずれ)の季節変化で説明がつきます。自然な動きです。

ところが5月22日から26日のあいだに、60分跳んでいる。この4日間の均時差の変化は1分未満です。つまりこの跳びは天文現象ではなく、時計そのものが動かされたことを意味します。

移行日は5月22日から26日のあいだ。ここまでは確定しました。

さらに5月26日号を見ると、当日のマグリブが20:28と印刷されています。テヘランの日没時刻を+4:30(夏時間)で計算すると、この値と一致する。+3:30なら19:28になるはずです。

26日の朝刊が印刷された時点で、時計はすでに進んでいた。

つまり移行は26日の始まり、00:00。データベースの「26日24:00」は、丸一日遅かったのです。

報告と採用

2026年7月26日、この内容を紙面のスキャン(Wikimedia Commonsにアップロードしました)とともに tz メーリングリストに投稿しました。翌27日、メンテナの Paul Eggert 氏から返信があり、データが書き換わりました。

asia ファイルには、私の報告がコメントとして丸ごと残っています。

# From N.F. Hase (2026-07-26):
# Ettela'at (Tehran daily) printed a daily panel headed "taqvim-e
# Ettela'at / sa'at-ha-ye shar'i", attributed to Dr. Riyazi Kermani.
...

そしてその下の Eggert 氏の判断メモに、こうあります。

# Go with Pournader for 1935 through spring 1979 (with the last
# transition clarified by Hase), and for timestamps after August 1991;

「1935年から1979年春まではPournaderに従う、ただし最後の遷移はHaseによって明確化された」

Pournader氏のこと

ここに出てくる Roozbeh Pournader 氏は、イラン出身のソフトウェアエンジニアで、Unicodeコンソーシアムのテクニカル・ディレクターです。TeXにペルシア語サポートを追加したことからキャリアを始め、シャリフ工科大学でFarsiWebプロジェクトを立ち上げ、イランの文字コード国家標準を主導した人。

彼は2025年に、同じエッテラーアート紙の紙面から、1978年11月10日のイランの時刻変更を確定させています。私が直したのは、その次に来る遷移点でした。

Pournader氏は1980年4月、テヘラン生まれ。私は1978年2月、日本生まれです。二人とも、自分が扱った出来事のほとんどを直接は知らない。四十数年後に、同じ新聞の紙面を通じて、同じファイルの隣り合う数行を埋めたことになります。

AIとの共同作業

この作業ではAI(Claude)と一緒に作業をしました。ペルシア語紙面のOCR、数十個の時刻データの突き合わせ、均時差の計算。単純に作業量が多く、手作業では数日かかったはずです。

しかし、AIに聞いたら答えが出た、という話ではありません。一次資料に当たると決めたのが人間で、膨大な突き合わせを引き受けたのがAIだった。その順番が逆だったら、たぶん何も見つからなかったと思います。

おわりに

礼拝時刻表というのは、毎日必ず印刷される天文データです。政治的な意図で歪める理由がない。革命の直後、体制が入れ替わり、官報の記録すら怪しくなる時期でも、太陽の南中時刻だけは正直に印刷され続けていた。

その数字が、四十七年後にデータベースの一行を直しました。

いま世界のどこかで1979年5月のイランの時刻を計算しているプログラムは、あの朝刊の囲み記事が示した値を使っています。


参照

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